昭和20年10月8日、天満の大池をはじめ河池・新川池と堤防が次々に崩れ、その水は、一挙に喜瀬川沿いの村々を襲い26名の命を奪う大惨事となった。この大洪水について、岩本智恵子さんから手紙をいただいた。その一部を紹介したい。
(この手紙をいただのは1997年、当時、岩本さん73才)
◇岩本さんからの手紙◇
・・・・川沿いの田畑、家も多く流れ、村の中心部も床上八尺というより濁流が入り、赤い泥水が畳や家具をたおし、壁を抜いて流れ去りました。
私どもも逃げるのがやっとで、家の裏口より、第二国道へ駆け上がると同時に、壁は音をたてて流れ、一部屋は流失しました。
国道の南側は田んぼばかりでしたが、牛が二頭足が立たないのか流れていきました。
その後、西へ逃げ五社の若宮で休ませていただき、夕方水に遭わなかった叔母の家で一晩泊めてもらいました。 ・・・・・
当時、私は21才、昭和19年6月に母の郷里である土山(加古川市)に疎開して参り、20年の10月に長女を出産し、誰からも庇われ、危ない場所へも、泥だらけの家の手伝いもしていません。その後も、赤い土は庭の隅や押入れに残っておりましが、両親は大変だったと思います。
*紙面の都合で、手紙の一部の紹介になってしまいました。

