37平岡町探訪:土山の宝篋印塔
土山の公会堂の横の墓地の北の隅に、県指定の文化財、宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。

宝篋印塔は、鎌倉時代に造られるうようになった。

名前の由来は「宝篋印陀羅尼経(だらにきょう)」を唱えれば地獄にいる祖先は極楽に行き、病気・貧困の者も救われるといわれ、供養塔として墓地などに置かれた。

土山の墓地の宝篋印塔は、加古川市内で最も古く「塔身」に、次の年代と銘が刻まれて、県指定の文化財となっている。

(銘文)

  為二親□□   (*□□は菩提か?)

  尼□阿□□   (*尼□の□は妙か?)

  元亨三年

  九月十八日

そして、この178センチの宝篋印塔の塔身の部分の正面には阿弥陀如来、右側には観音菩薩そして、左には勢至菩薩が彫られ、阿弥陀三尊である。

尼妙、阿□□はどんな女性か分からない。しかし、銘が「二親菩提」であるから、亡くなった彼女の両親を弔うために建立したのであろう。

銘の「尼□阿□□」の「阿」に注目して欲しい。阿の次の字は「弥」の文字が入ると考えられる。

そうであるなら、阿弥(あみ)は念仏宗(時宗)の出家に多い名前である。この人はおそらく念仏宗の尼さんであろう。土山近辺の念仏宗の広がりが想像される。

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