35平岡町探訪:土山大洪水(2)

平岡町中野(加古川市)には、江戸時代の寛政元年から現代まで坪狩りが続いており、その記録が「坪刈帳」として残されている。

*中野村の「坪刈(つぼがり)」については、11月26日のブログ「中野村の坪刈記録」をご覧ください。

それには、米の収穫量だけでなく台風、旱害、害虫の被害、それに当時の物価などの世相も書き記している。昭和20年の「坪刈帳」には、他地区のことであるが、土山(加古川市)の水害のようすを、次のように記録している。よほどの大災害であったようだ。

・・・(昭和20年)9月17日、関西及四国・九州に大暴風雨あり、(9月17日午後10時より、18日午前6時まで引き続き)為めに大被害蒙りたる上、10月4日より毎日大雨にて・・・10月9には土山部落貯水池決壊し・・・

備考  土山部落

一、流失家屋  19戸  二、全潰  5戸

三、半潰  24戸    四、納屋其他流失  7戸

五、同上全潰  8戸   六、同上半潰  45戸

七、死者  26人    九、浸水家屋床上  214戸  

 (浸水家屋)床下  4戸  *番号八が抜けている。記載ミス。

10、牛斃死   6頭   11、家屋流失  70戸

この大災害は、土山のみならず喜瀬川沿いの地域に大きな爪跡をのこした。

*写真の橋から少し上流のカ所が、もっとも被害が大きかった所。

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