24平岡町探訪:(民話)運慶と湛慶

横蔵寺(新在家)の観音様には、こんな話がある。ある日、湛慶は、母に父のことをたずねた。母は、今まで、「湛慶の父は仏師だ」としか教えていなかった。「・・・・お前の父は奥州生まれの運慶で、仏像をつくって諸国をまわるうちに宮崎を訪れ、そこでお前を身ごもった。

そして、湛慶が母の体内に宿ってまもなく、郷里に残してきた老父母のようすが気になり、風のように奥州へ帰っていった・・・」と、母は、その日湛慶に語った。

ある夜、湛慶は千手観音の夢を見た。観音は「・・・わが右半身を作り、東へ行くべし・・・」と告げたのだった。

湛慶は、観音様の右半身を背に負おうと東へ出発した。やがて、加古の里(今の加古川市)についた。傍らの石に腰をおろした。

「私も休ませでくださらぬか」と声をかけられた。一人の老人が立っていた。「どちらから来られたんですか」と湛慶はたずねた。話は弾んだ。何時しか、身の上話に及んだ。

湛慶は「もしやあなたは、運慶様ではございませんか・・・」

老人は驚いた。そして、湛慶の取り出した右半身の観音様は、運慶の持つ左半身の観音様と寸分の違いもなくピッタリと一体の仏像となった。

その夜、野づらに風が吹いた。風が歌っていたのかもしれない・・・

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