『播州名所巡覧図絵』(文化四・1807)に高畑村を次のように説明している。
高畑村・・・土山村の西なり。当村に名医あり、湿病を療す。嗅薬を用ゆ。病者諸国より集まる。
高畑村に、名医がおり、遠くから多くの人々が治療のため、高畑村の医者のもとに集まったという。当時の観光案内書にも紹介されるほどである。よほどの名医であったのであろう。
この名医の名前は、権兵衛(ごんべえ)といった。権兵衛の名前は現在でも伝えられており、平岡小学校百年史『景範(けいはん)』は、次のように記している。
「・・・村明細帳によれば、寛延三年(1750)には権兵衛という医者がおり、近隣ではゴンベハン(大西医院三代目か四代目の方と思われる)と呼ばれ・・・」とある。
ゴンベハンを高畑(加古川市平岡町高畑)の明細帳で見ておきたい。右が明細帳の一部である。
一 医者 壱人 権兵衛
家内 七人 是ハ所出生之者に而 御座候 ![]()
ゴンベエハンのご子孫は、現在でも高畑で医者を開業しておられる。高畑の国道2号線沿いの大西医院がそれである。
明日のブログは、大西家の「門」を紹介したい。

