昭和6年(1931)、「満州」で始まった戦争は、その後中国全土に広がった。
平野(加古川市加古川町)のSさんのお宅に、血のあとの残る縦6.5センチ、横10センチの一枚の布がある。昭和12年9月14日、場所は黄河が大きく北へ向きを変える山西省だった。17・8のまだ童顔の残る中国兵は震え、その顔は引きつっていた。部隊長は、その兵隊から「敵側」(中国)の兵力を聞き出した後、Sさんに命じた。
「お前やれ(殺せ)・・・」
当時「上官の命令は朕(天皇)の命令と心得よ」と教えられており、反対することは出来なかった。「最後の望みは・・・」少年は、5センチぐらいの木の枝をグッと噛み、目隠しを払いのけ、Sさん等をにらみつけた。少年の左胸に銃剣を突き刺した。その日、9月14日は、お父さんの4回目の命日だった。
遺体を埋める時、少年の袖からワッペンをはずした。ワッペンには「打倒侵略的日本人」と白く染め抜いてあった。当時Sさんは21才。復員後毎月14日には父の位牌と一緒に、この血染めのワッペンを並べて、読経をされている。

*「加古川の戦争」はしばらくやすみます。
