1937年(昭和12)7月7日、日本軍は北京郊外で中国軍と衝突事件をおこした。これをきっかけに華北一体に戦線を広げた。
中国の中心部でのこの戦争は、満州事変とは全く違ったものになった。中国人の激しい抵抗があった。この時、共産党と国民党は、お互いに意見をことにしていたが、両党は日本に対して共に戦うことで一致した。日中戦争に従軍した高田実さん(加古川市加古川町大野)の日記が残っている。昭和13年10月6日の日記を読んでみたい。
「・・・昨夜どうも寝れない。暑いし、蚊はでるし・・・・11時頃ウトウトする。ようやく寝につき、故郷の夢の真っ最中、出発の声に起こされる(午前3時)。またも高い山に登る。雲が山の中腹にかかって、ちょうど内地の瀬戸内海のように見える。オオ太陽が出だした。絶景だ。これで、東洋が平和ならどんなに幸福だろう・・・・さて、朝食にかかる。三小隊の者の飯がない。皆、分けあって食べる。我も浜上と一つの飯を仲良く食う・・・・」
日記は、この日で終わっている。この日の午後戦死。場所は、湖北省新陽県。行年21才。日記に「・・・ようやく寝につき、故郷の夢の真っ最中・・・」とある。夢には、日岡山・播磨平野、そしてゆったりと流れる加古川の風景があったのだろう。

*写真は高田実さんの墓(日岡公園墓地)
