加古川の戦争(29)・南京陥落(昭和12年)

写真下は、『加古川・高砂の100年(加古川市・高砂市・稲美町・播磨町)』(郷土出版社)に掲載の写真である。

南京陥落の旗行列で、「加古川尋常高等小学校(現:加古川小学校)の生徒たちが加古川の町を旗行列で歩き、祝った」と説明がある。日本軍は、日中戦争で戦線を拡大し、中国軍は、南京に撤退をはじめた。中支方面軍(司令官は陸軍大将松井石根)は、これを追撃。12月13日南京を占領した。

日本軍は、南京で中国民衆にたいする恐ろしい大虐殺事件をおこした。この南京大虐殺は世界中に大きなショックをあたえた。当時、「ナンキン・アトロシティ(Nankin Atrocity)」として世界中に知られたこの虐殺も、日本国民には知らされなかった。国民には、「中国の首都・南京を陥落させた」とのみ知らされ、祝賀一色で、写真のような祝賀行事が全国で行われた。

日本国民が、南京事件の事実を知るのは、敗戦後の「東京裁判」によってであり、そこでは、耳をふさぎ、目をそむけたくなるような大虐殺の証言・証拠が提出された。

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