1941年(昭和16)12月8日、日本は太平洋戦争に突入した。
開戦当時の当初の海軍の活躍は日本国民に大きな影響を与えた。こうした盛り上がりの中で、1942年(昭和17)1月2日、国は開戦の12月8日を記念して、毎月8日を大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)と決めた。加古川国民学校(小学校)の絹巻校長は2月11日の紀元節(現在の建国記念の日)の式典で、次のような訓話(要旨)をしている。
・・・米軍最後の拠点たるフィリッピンのバターン半島、コレヒドール半島も、もはや陥落寸前にあります。英国積年の東亜侵略の根拠地であったシンガポール要塞も、いよいよ最後の攻撃が加えられ、早くも皇軍の精鋭は、シンガポール島の敵前上陸に成功して、攻撃を続けておりますから、私がこうしてお話している中にも「シンガポール陥落」の新聞記事の大活字が目の前に浮かび、ラジオの放送が、耳に聞こえるような気がして、そぞろ血湧き肉踊る感がします。・・・
当時の、雰囲気を伝えている。
*「加古川市史(第三巻)」参照。

