加古川の戦争(18)・陸軍病院

昨日のブログ(歩兵第百六聯隊)の続きである。

加古川第二陸軍病院

「加古川第二陸軍病院」は、歩兵第百六聯隊・神野兵舎(昭和16)と同時期に開業したのではないかと考えられる。姫路や京都・大阪といった師団司令部の所在地の陸軍病院と比べると、規模は小さかった。戦後、昭和20年11月から陸軍省から厚生省に施設・人員が移管され、「国立病院加古川療養所」となり、「国立加古川病院」をへて、現在「(私立)甲南加古川病院(写真)」(加古川市神野町西条)となっている。

加古川第一陸軍病院

昭和12年(1937)に加古川飛行場に付属する「加古川陸軍病院」として開設された。診療は、内科・外科・眼科があり、歯科は姫路陸軍病院へ行かねばならなかった。昭和16年に、神野兵舎付属の陸軍病院が開設されたので、名称を「加古川第一陸軍病院」と改めた。

「陸軍航空通信尾上教育隊」(9月4日のブルグ参照)の西隣にあった。

*「加印地区の戦争遺跡(加古川南高等学校・歴史同好会)」参照

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