加古川の戦争(17)・歩兵第百六聯隊

昭和16年(1941)、現在の山手中学校(加古川市山手)の場所に「歩兵第百六聯隊」の兵舎(神野兵舎)が完成した。第百六聯隊は、比較的規模の小さな部隊だった。

(「れんたい」は、聯隊と書いた。現在の陸上自衛隊は、連体と書く)戦局の悪化にともない、百六聯隊も南方へ投入されることになり、昭和19年(1944)2月、朝鮮の龍山で、大隊に編成された。6月、歩兵第四九師団に入り、インドシナ方面へ送られ、終戦はミャンマー(ビルマ)で迎えた。百六聯隊の転出後、神野兵舎は、「陸軍航空通信学校神野教育隊」の兵舎となり、終戦時には同部隊が改編された「水戸航空通信師団加古川教導通信団」の教育隊の兵舎として使用された。

百六聯隊の兵舎は戦後、山手中学校として使われた。

現在、中学校の近くに「歩兵第百六聯隊の碑」(写真上)がある。

そして、校舎のすぐ北に、星章のある当時の消火栓(写真下)が残っており、歩兵聯隊の兵舎があったことを物語っている。

*「加印地区の戦争遺跡(加古川南高等学校)」参照

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