加古川の戦争(16)・弾薬格納壕

前日の雨のせいか、空気は湿っぽかった。それにしても暗闇に湿った空気は、気持ちのよいものではない。

懐中電灯で照らしてみると、砂利をいっぱい含んだ地層のトンネルである。コウロギのような白っぽい虫が、久しぶりの人間に驚いたのか跳ねまわっている。この洞窟は、昭和20年でその役割を終えて久しい。緊急の弾薬の避難所であった。加古川刑務所は、もと「神野倉庫」とよばれ弾薬庫であった。

*「神野倉庫」については、9月6日のブログ(神野倉庫)をご覧ください。

終戦もまもない頃、本土空襲も激しくなった。そのため、弾薬の一部をこれらの洞窟に分散させたのである。戦後しばらくは、現在陸上競技場の東側辺りにも、同じ目的でつくられた洞窟が残っていた。

場所は、氷丘中学校(加古川市加古川町大野)から刑務所へ通じる道を北へ行き、新井用水を越えて100メートルほど行った右手の茂にある。危険なため入らない方が良い。

*この文章は、ずいぶん前になるが、1994年にこの弾薬庫へ入った時のものである。たしか、梅雨の頃であったと記憶している。

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