加古川の戦争(13)・弾丸列車計画

戦前、壮大な計画があった。東京から大阪・神戸を経て、そして朝鮮海峡を越え、朝鮮半島に鉄道をつなげようとする、とてつもない計画であった。

まさに、軍備増強・植民地経営のための鉄道計画であった。昭和13年、この弾丸列車の計画は国会で承認された。そして、用地の買収が始められ、昭和16年に一部建設工事がはじまった。しかし、戦局の悪化のため、この弾丸列車計画は、つかの間の夢と消えた。用地買収は、東京~大阪間は96キロ、大阪以西は64キロにとどまっていた。

加古川地域は、用地の買収が進んでいた地域であった。東京~大阪間はの用地は、昭和34年に着工した東海道新幹線の用地として、そのまま使用された。兵庫以西の土地はいったん売却されたが、昭和35年、加古川バイパスの用地として再び買収され、10年後の昭和45年から国道2号線との暫定使用がはじまった。

加古川バイパスが、このように短期間に、しかもまっすぐな道路になったのにはこんな裏話があった。

*「加古のながれ(市史余話)」(加古川市史編纂室)参照

*写真は、加古川バイパス(平岡北小学校の南の歩道橋から西方を撮影)

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