加古川の戦争(12)・聖陵山古墳

写真は、長砂(加古川市野口町)の円長寺(昭和40年代の撮影か)である。この写真の右隅に少し高まった丘が半分写っているが、これが聖陵山古墳(せいりょうざんこふん)である。もともと、前方後円墳であったが、明治7年に前方部を平らにし、寺をここに移したため、現在の墳丘は円墳のようである。

また、寺伝は、天文12年(1544)に、この古墳から鏃(やじり)12本が出土した(今は7本が残っている)ことを伝えている。この鏃などから判断して、この古墳は4世紀後半の古墳と考えられている。また地形から、海とのかかわりを持つ豪族の墓と考えられる。ともかく考古学では注目されている古墳である。

この古墳は、少なくとも2回の破壊を経験しているが、受難はさらにつづいた。第二次世界大戦の末期、この古墳に横穴が掘られた。加古川飛行場の通信部隊が通信業務をおこなっていたという。

なお、「加古川飛行場の飛行機が、この壕にかくされていた」という説があるが、これは間違いである。いくらなんでも、この古墳の内部に飛行機は入らない。

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