復習をしておきたい。まず昭和12・13年頃、水足に高射砲隊ができた。
同じ頃、尾上に加古川飛行場が、そして今の加古川刑務所の場所に、神野弾薬庫が建設された。加古川駅と神野弾薬庫は、水足経由で鉄道で結ばれた。そして、水足の高射砲隊と尾上の加古川飛行場は道路で結ばれた。その道は、現在「播磨化成」の西を、まっすぐ南へ伸びる道である。浜国道をこえて、飛行場につながった。
いまでも、年配の方は、この道を「高射砲道」と呼んでいる。現在、この道は「県道野口尾上線(386号線)」で、海岸部と中部を結ぶ重要な産業道路としての役割を果している。加古川は「小軍都化」していた。「もし」戦争がもう少し長引いていたら、加古川も大規模な空襲を経験することになっていたことだろう。
次の施設については、次のブログを参照ください。
高射砲隊(8月25・30日)、神野弾薬庫への鉄道(8月26日)、加古川飛行場(9月5日)、神野弾薬庫(9月6日)

