加古川の戦争(10)・神野弾薬庫

写真は加古川刑務所である。

戦前・戦中、ここは陸軍の弾薬庫であり、航空用爆弾に火薬をつめる作業を行っていた。「B52」の爆撃機の本土空襲が激しくなった頃、神野倉庫が空襲を受けると大惨事となることが予想されたので、新井用水沿いや日岡山公園周辺に横穴の壕を多数掘って、火薬・弾薬を置いていた。

『水足誌』に次のような記述がある。

「・・・・大野山周辺、新井川の高い斜面に横穴を掘って火薬を隠したり、北浦の新田の畦や空き地に300キロ、500キロの爆弾が数個ゴロゴロと、ころがされてムシロで覆われており、兵隊が時々見回ってくる状態になった。もしこんな所へ敵機の爆弾が落ちようものなら、水足村など一瞬にケシとぶのではないかとヒヤヒヤしたものである。

戦後どこへ運び去られたか知らないが、海へ投棄されたとも噂された。

横穴に残った火薬が地下水で溶けて長い間、新井用水の水が黄色く染まって流れていたことは当時の人々の記憶に生々しいことである・・・」終戦後、跡地利用にはいろいろな案がでたが、1948年(昭和23)に刑務所が建設された。

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