加古川の戦争(9)・加古川飛行場

昭和12年4月の頃、別府尋常小学校の松本泰子さんは、次のような作文を書いている。

・・・私の町の西の尾上村に、飛行場が出来ています。いつも学校の上を「ぷるん、ぷるん」と大きい音を立てて、へんたいで飛んできたり、「ひゅうひゅう」といって、宙返りをしたりして、勇ましいけいこをして居ます。・・・

加古川飛行場は、1936年(昭和11)阪神地方の防衛のために尾上村に計画された。1936年に土地買収が行われ、翌年の12月に「飛行第13連隊」が駐屯し、1939年にはおおよその完成をみた。その後、戦況の悪化のため、飛行操縦士の大量の養成が必要となり、1944年(昭和19)の春から「第一教育飛行隊」が加古川飛行場に開設された。

終戦後は、元耕作者や海外引揚者、復員兵が中心になり農地の開拓が行われたが、戦後経済の復興に伴って工場(近江絹糸)が進出し、さらに海岸部の埋め立ても行われ風景は一変した。

*写真は、加古川飛行場(地元では「尾上飛行場」と呼んでいる)の一機。尾翼に加古川飛行場所属をあらわす、マークが見える。

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