加古川の戦争(8)・陸軍航空通信学校尾上教育隊

浜の宮公園の松林の中にいる。浜国道がすぐ隣に走るが、騒音は気にならない。静かである。

その施設跡(写真)は、松の木の漏れ日の中で歴史を伝えていた。「陸軍航空通信学校尾上教育隊」の兵舎跡である。この施設を語る詳しい資料が見つからなかったので、『加古川市誌(第二巻)』から引用したい。

「・・・満州事変に続いて日華事変(日中戦争)となり、軍備の拡張とともに、この松林の中に陸軍病院や航空整備隊等が置かれ、更に太平洋戦争中には、陸軍通信学校尾上教育隊が開設され、やがて終戦を迎えた。・・・・・その後、軍の施設は取り除かれ・・」とある。

写真は、教育隊の兵舎跡である。地元の人は「浜の宮兵舎」と呼んでいる。終戦後の一時期、加古川飛行場を管理した連合国占領軍が、兵舎として利用したこともあったという。現在、この場所に「陸軍航空通信学校尾上教育隊」と「陸軍第百四教育飛行隊」の碑が建てられている。

*加古川飛行場については、後日のブログで取り上げたい。

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