11平岡町探訪:庄屋不審

天保の飢饉により、百姓は困窮した。

しかし、多くの豪商・村役人層は土地を集め、成長さえした者もいた。小前(小百姓)と村役人の間には、時として対立が生じた。小前百姓は団結して、庄屋の不正をつくようにさえなった。高畑村(加古川市平岡町高畑)の文書は、そんな状況を語っている。時代は、変化していた。

① 上様(姫路藩主)から支給された御救米の残り六斗あまりがあるはずである。庄屋が取り込んでいるのではないか。

② 庄屋は、困窮した村人に銀20枚を提供したと領主に報告しているが、受け取った者は誰もいない。

③ 百姓・庄三郎が、屋敷を売り払って年貢未進分を払ったが、あまった銀30目はどうなったか。

④ 大歳神社の鳥居のかけ替えのために集めた寄付金はどうなっているのか。

⑤ 西国街道の西境の八幡宮の石橋をやり替えたが、あまった材木を庄屋は売り払ったらしい。代金はどうなっているのか。

⑥ 池普請のときの会計報告はどうなっているのか。

⑦~⑭は省略

高畑村は、西国街道に沿った村で、特に貧しい村というわけではなかった。

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