聖徳太子と五ヶ井用水:五ヶ井用水は鶴林寺の荘園を潤す用水か?
『日本書紀』に次のような記述がある。「(今から1300年以上も前のことである)聖徳太子は、叔母の33代の推古天皇のために法華経等を講義された。この講義に推古天皇は、おおいに感動され、その労をねぎらうため、播磨の国の良田を聖徳太子に与えた。太子は、これを播磨に分け法隆寺の荘園とした・・・」その土地は、揖保郡太子町の今の斑鳩寺(いかるがでら・はんきゅうじ)あたりで、法隆寺領荘園鵤荘(いかるがしょう)だというのが大方の説である。
太子町の斑鳩寺は、この荘園の管理と信仰の中心として11世紀ごろに創建された。一方、鶴林寺であるが、『鶴林寺縁起』では、「聖徳太子が秦河勝(はたのかわかつ)に命じて堂をたてさせ、高麗(こま)の恵便(えべん)を僧とした」とある。しかし、寺域から飛鳥時代はもちろん、奈良時代の古瓦などが全く出土していない。それに、建築様式などから鶴林寺は平安時代初期の創建と考えられる。
そして、さまざまな研究により、鶴林寺の「太子信仰」は、法隆寺より四天王寺との関係により生まれたものらしい。五ヶ井用水と聖徳太子のつながりは考えにくい。
*写真は鶴林寺の太子堂。明治34年に特別保護建造物(現在の国宝)に指定され、平安時代後期の建物である。兵庫県で現存する最古の木造建築。

