43平岡町探訪:西谷

西谷新村(西谷)は延宝七年(1679)、高畑村の庄屋・彦左衛門が開発して、新しくできた村である。

高畑村から独立した村であることは、名前からも容易に想像できる。『加古郡史』に面白い話がある。

・・・・この地を高畑村と新在家が争ったとき、加古新村の加古才兵衛が、西谷と言うからには高畑の土地に相違ない。新在家の地なら「東谷」と称したであろうと決済した・・・

そして、西谷の八幡社(写真下)は、その才兵衛が自分の村から勧請した社であるという。八幡社の東の溝が高畑村と西谷新村の村界である。

  

この溝(写真上)の部分の辺りが若干低くなっている。

この溝は用水で、寺田用水の高畑分水が源太池(日本ハム工場は源太池の一部を埋め立てて建設された)に流れ込み、ここから、さらに二俣へ流れている。

西谷新村は、昭和25年加古川市との合併に伴い「西谷」と改めた。

*『古地名新解・加古川おもしろ誌』(石見完次著)参照

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