44平岡町探訪:新在家の五輪塔

五輪塔については9月22日、10月26日のブログでも紹介した。ご覧ください。

ここでは、平岡町新在家にある五輪塔を紹介したい。

教信寺(加古川市野口町)から旧山陽道に沿って東に行くとサティーに突き当たり、道はいったん消える。そして、そこをこえて道は再び東に続いている。その道が始まるところ(サティーの東)の北側の地蔵堂に大型の五輪塔(写真)がある。

旧山陽道は、サティーが出来る前に「日本製麻工場」がここに進出したが、この時に分断された。

この五輪塔は、古くからよく知られていたようで、江戸時代の観光書『播州名所巡覧図絵』にも、足利左馬頭義氏の墓と伝えているが疑問である。

境内整備のため数メートル東に移動された。その際、向も変えられた。銘はないが、岩本恒美氏(故人)は『加古川市の文化財』で「火輪が横に対して高いから室町時代中期をくだらない頃の作であろう」と指摘されている。

サティーに立ち寄った時に、一度見学してはいかがだろうか。

なお、江戸時代、この五輪塔の前の旧山陽道は、西は長崎に通じ、東は神戸の元町センター街から大丸のある交差点に出て、さらに京都・江戸に通じた大動脈であった。

多くの大名行列もこの道を利用した。伊能忠敬もシーボルトも通った。旅人の賑わいを詰め込んだ道であった。

*「平岡探訪」を書いているが、いったんお休みをして、明日から「加古川町探訪」に出かけたい。史料、面白い話題などがありましたらお知らせください。

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