『風土記』は奈良時代、国ごとの産物・伝説・土地の質などをまとめた地理・歴史書である。
現在、完全な形で残っているのは『出雲(いずも)風土記』だけで、その外では常陸(ひたち)・豊後(ぶんご)・肥前(ひぜん)・播磨の風土記が残っている。
『風土記』に、奈良時代、私たちの地域の加古(賀古)郡には、地図のように長田里(ながたのさと)・駅家里(うまやのさと)・望理里(まがりのさと)そして、鴨波里(あわわのさと)があり、隣の印南郡には益気里(やけのさと)・含芸里(かむきのさと)・大国里(おおぐにのさと)・六継里(むつぎのさと)があったと記録している。
現在の平岡町(加古川市)と播磨町のほとんどは「鴨波里(あわわのさと)」に属していた。
平岡の地番は、播磨国、加古郡、鴨波里である。
鴨波里について『播磨風土記』は次のように書いている。
《鴨波里》 土は中の中
昔、大部(伴)の造(おおとものみやつこ)らの始祖であるコリメがこの野を耕して、たくさんの粟を植えた。そのために粟々の里といった。・・・・
粟がたくさん作られていたところから「アワワノサト」と呼ばれたというのである。反面、この地方は、古代から水が得にく、稲作があまり盛んでなかったのかもしれない。

