右の地図は、明治40年の陸地測量部の地図を手直ししたものである。不思議なことに、海岸にほぼ平行して三列の池が並んでいる。そして、寺田池辺りに池が集中している。
*黒く塗りつぶした池については明日のブログで取り上げます。今日は無視して欲しい。
野口・平岡・播磨町の地域は、大きく3つの段丘からなっている。
一つは国道2号線より北の地域で、この地域は日岡段丘である。寺田池辺りもこの段丘上にある。
日岡段丘は、高いところで30mである。およそ24万年前、地球が暖かくなり、海が大きく陸地に押し寄せる大海進があった。この時、日岡段丘の辺りは海で、その後この地域は隆起が続いている。
やがて氷期になり、海は大きく後退し、平らな日岡段丘を形成した。その後も海進、海退を繰り返し、小規模な段丘をつくった。
次に大規模な海進が12,3万年にあり、新井用水あたりは海底となり、土砂が堆積した。再び、氷期に入り、海底は陸地になった。この間も野口・平岡の地は隆起を続けており、次の海進では陸地のまま残った。これが野口段丘である。
以後3万年ごとに海進・海退があり、数段の小さな段丘を形成させた。最後の海進は6.000年前の縄文海進である。
段丘は海岸に並行に広がっている。池は段丘にそって掘られたのであるから、地図のように海岸に平行に作られてた。そして、形も東西に細長くなっている。
* 私たちの地域は、現在でも隆起しており、隆起速度は、野口・平岡町辺りでは年間0.125mmで、東が高く明石市魚住町では0.35mmなっている。

