18平岡町探訪:印南野

加古川の中心街を抜け、国道二号線を少し東へ行くと野口の手前で、ゆるやかな上り坂になっている。その辺りから東へ、明石川辺りまでは、東に高い地形になっているが、ほぼ平坦な台地が続く。

この広大な台地は、印南野(いなみの)と呼ばれてきた。

「平岡町」(加古川市平岡町)の名称は、平らな岡の上に発達した地域の意味から名づけられたのであろう。また、印南野の沖あいの海は、印南野の海と呼ばれ、陸・海ともに交通の要所だった。

そのためか、印南野(台地)については、『万葉集』にも多く詠まれ、『枕草子』にも登場する。しかし、印南野台地の本格的な開拓が進むのは、主に江戸時代以降で、古代においての印南野は荒涼とした土地であった。

「野口」でも取り上げたが、『播磨灘物語(司馬遼太郎)』の文章を再度紹介しておきたい。

野口は印南野の西の端にあって、多少の丘陵が起伏し、西からくる旅人にとっていかにも野の入り口といった地形をなすために、そういう地名が出来たのであろう。・・・

「野口」の地名のおこりは、印南「野」の入り「口」と説明している。

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