戦国時代の土木技術が江戸時代にの農業に転用され、江戸時時代の最初は、一大開発の時代をむかえた。
平岡(加古川市平岡町)あたりでは、野辻村(寛文6・7年)・寺田新村(明暦年間)・西谷新村(延宝7年)が新村として独立した。*11月11日のブログ(「新村誕生」参照)
地図の幸竹、森安、野際(いずれも稲美町)等、寺田池の水源になっている地域にも、この時代に新しく村が誕生した。
それらの村々は、当然水を確保するため、多くの池をつくった。さあ、大変だ!・・・・寺田池に水が集まらなくなった。(地図中の「←」は雨水の流れる方向)
そのため、寺田池は新しく水源を求めねばならなかった。そこで考えられたのが、神野小学校の南を流れる曇り川の上流から水を引くという計画だった。(この計画については、明日のブログの予定)
◇豆知識「印南野のため池ベスト4(満水面積)」
① 加古大池(稲美町)49.4ヘクタール
② 天満大池(稲)美町)34.0ヘクタール
③ 入が池(稲美町) 19.0ヘクタール
④ 寺田池(加古川市)18.7ヘクタール

