新在家(加古川市平岡町新在家)に残る明細帳(元文二年・1737)から、次の数字を見ておきたい。
《新在家村》
人数 879名(出家5・大工1・医者1・商売5・博労1)
戸数 160戸
内訳 本百姓 90軒(10~30石・19軒、3~9石・32軒、1~2石・48軒)
*内訳は99軒になる。記入ミスか?
水呑 70軒
本百姓は、検地帳に登録され、年貢や諸役を負担するの農民で、水呑は田畑を持たず、年貢や諸役の負担を負わない農民のことである。それにしても160軒のうち70軒、つまり約44%の農民が水呑百姓である。さらに、本百姓というものの、取れ高の少ない48軒を加えると実に74%の百姓の生活は極めて困難な状態にある。もちろん、彼らは小作だけでなく、出稼ぎで日銭を稼いだのであろう。女は、この辺りの特産であった木綿稼ぎに精を出したという記録があるが、史料が少なく詳細は分からない。

