江戸時代になり、文字で書かれた記録(古文書)類は、急に多くなった。
これは、紙の生産が増加、庶民の読み書き能力の高まり、それに何よりも政治の複雑化によるものである。
江戸時代の研究は、これら「古文書との闘い」と言っても、いい過ぎではない。
しかし、これらの古文書類が現在まで保存されていることはまれで、多くは処分され、失われている場合が一般的である。
平岡町は、比較的古文書類が、保存されている地域である。
『加古川市史(第五巻)』にも、『新在家村・野辻村・寺田新村明細帳』(元文二年1737)、『高畑村・和田新村・西谷新村明細帳』(寛延三年・1750)等の明細帳が紹介されている。
明細帳は、村の米の取れ高、家数、人口、家畜の数など村の概要を役人などに提出するための文書で、当時の村のようすを比較的よく知ることができる。
その他にも、良く知られている『中野村・坪刈記録』、一色村の多くの古文書類等がある。これらの古文書類から、江戸時代の平岡地区の村々のようすを、しばらく紹介したい。
*写真は、『高畑村・和田新村・西谷新村明細帳』

