
14.印南野台地④・段丘と池
きょうは「印南野台地②・③」をあわせてご覧ください。
印南野台地は、隆起と気候変動の二つの原因でできたことを書きました。
復習をしましょう。
右の地図は、大正12年(大日本帝国陸地測量部発行)の地図です。
(地図は、クリックすると拡大されます)
確認しておきましょう。
中央の赤い線は、江戸時代の初めのころにつくられた新井用水です。新井用水は、だいたい10㍍の等高線にそって流れています。
地図の三ツ池の高度は約9.5㍍で、二俣の大池の高度は約15㍍です。
もう一度整理します。
三池(新井用水より南)の高度は9.5㍍、新井用水高度は約10㍍、大池の高度は約15㍍です。ちなみに数池(喫茶店・明日香の南にある池)の高度も約15㍍です。
昨日も述べたように、新井用水あたりはかつての海蝕崖で、今は長い年月で緩やかな坂を形成しています。
その坂の上は、東西に長く続いている段丘です。
印南野台地では、このように数段の階段状の段丘が発達しています。
地図中の池のならびに注目してください。
点線に沿って東西に池が並んでいることに気がつかれると思います。これは同じ段丘面に池が築かれているためです。
新井用水より北の二俣は、土地が高いため新井用水の水を利用できません。水は高いところを流れてくれません。
水の少ない台地上の二俣は、田畑の水は池にたよらざるを得なかったのです。
ですから、今はそのほとんどが埋め立てられ、池ノ内の住宅地に変わっている大池は、二俣集落の農業にとって大切な役割を果たしていました。
地図でかつての大池を確認しておいてください。
