13.印南野台地③・二俣は海岸段丘上の町

別府町のイトーヨーカドーの西の道を北にサイクリングしてみましょう。

平岡町の東加古川郵便局横の三ツ池あたりから坂になっています。しばらく行くと新在家あたりでまた一段あがります。

この台地は山陽本線を越えたあたりで、いったん下がり、いなみの学園、農業高校付近で上あがり続け、寺田池の北方でさらにあがります。

 何段かの東西に続く坂があり、坂の上に段丘があることがよく分かります。

 野口・平岡・播磨町の地域は、大きく3つの段丘からなっています。

 この段丘は、気候変動によるものです。

 およそ24万年前、地球が暖かくなり、海が大きく陸地に押し寄せる大海進がありました。

 やがて氷期になり、海は大きく後退(海退)しました。

その後も地球は、温暖な時期と寒冷な時期を繰り返しました。

やがて氷河期が終わり、温暖な時期になると、海進があり海岸線で侵食作用が始まり、海蝕崖をつくります。

海面は平らなため、平岡町辺りでは東西に続く侵蝕崖ができました。

寒冷期になります。海は再び遠くへ遠ざかります。この間、昨日のブログで書いたように印南野台地は、少し隆起しています。

ですから、次の温暖な時期にはより南の海岸で新しく海蝕崖を作ります。

このように、印南野台地の周辺部では数個の段丘面が形成されました。

海蝕崖のあたりは、長い歴史の中で緩やかな坂になって残っています。 

 12,3万年頃にも大きな海進ありました。新井用水あたりは海底となり、土砂が堆積しました。

再び、氷期に入り、海底は陸地になりました。時期は約6・7万年前から1万年前の時期です。

この間に、三ツ池辺りからの一段高い段丘面が形成されました。

新井用水より北の二俣の土地は、この時形成された段丘面です。

そして、新井用水辺りは海蝕崖、つまり海岸でした。

*図は『加古川市史(第四巻)』より(部分)

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