加古川の戦争(38):協和会⑦・お母さん学校

学童のようすみたい。

昭和17年4月現在で、高砂国民学校には127名の在日朝鮮人の在籍があった。教員は、これら学童に対して、次のような評価をしている。この評価は、他の地方でも同じである。

・・・多数の者は遺憾ながら、道徳上の要注意の者、という程である。即ち「腕力あって、級中の餓鬼大将となり、弱きをせめ、粗暴で、しかも怠惰で、盗癖がある」相当これが善導につとめているが、尚多くの努力を要する状態である。

*『協和教育研究(兵庫県協和教育研究会)』(昭和18年)より

協和会は、家庭における母親の教育の必要性を感じた。そこで、在日朝鮮人の学童が比較的多い地域に「お母さん学校」を開設した。指導には国民学校の教師が当たった。

高砂の場合、学校の名前は「高砂協和・お母さん学校」で、毎週火曜日午後2時から3時半まで、5ヶ月を一期とし定員は40名。

授業時間は、40時間でその内訳は、修身7・国語(日本語)20・音楽3・家庭科10である。

「修身」の指導要綱を見ておきたい。「国体」については、「わが国のはじまりの宏遠なること・万世一系の天皇・国民の忠君愛国・わが国民の幸福について」であった。

*「(兵庫)協和会」について、7回ばかり取り上げたが、この分野は、ほとんど研究が進んでおらず、詳しい報告はできなかった。今後の詳細な研究が待たれる。

明日から、東神吉町の歴史探訪に出かけたい。

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