加古川の戦争(35):協和会④・「日の丸」掲揚

兵庫県協和会の機関誌『兵庫県社会事業』(昭和15年4月号)に次のような記事がある。(兵庫協和会)加古川支会二月十一日

紀元節当日における会員の国旗掲揚状況を指導員と共に視察したるも、いずれも実行しおりたるが、会員中不実の者あり、注意を与えたるもの五名あり・・・在日朝鮮人にとって「日の丸」を掲揚することは、全くの無縁であった。

戦時下の日本では祝祭日、記念日等には国旗を揚げることが義務化されていたが、朝鮮人には「必要」との認識はなかった。協和会は、事業の一つとして「日の丸」の掲揚をきめた。

そして、協和会役員(特高課員)が監視にまわり、揚げていない家には強く注意したのである。祝日、戦勝記念日は、「日の丸」を掲揚せざるをえなかったが、朝鮮人にとって日の丸掲揚は、強制以外のなにものでもなかった。

◇紀元節: かつて2月11日は紀元節とよばれた。この日、初代・神武天皇(実在しない)は、天皇になる儀式を橿原神宮(奈良県橿原市)で行ったとされる日。明治5年に制定された。

昭和41年、この日を「建国記念の日」として国民の祝日に制定した。

*『皇軍兵士にされた朝鮮人(樋口雄一著)』(社会評論社)参照

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