加古川の戦争(25)・祖国へ(1)

土山(加古川市平岡町)の平井文子さん(千葉県出身87才)の話をしたい。

昭和6年、日本は満州に侵略した(満州事変)。そして翌年、満州国を建国。「満州は日本の生命線」「行け満州の大地へ」「大陸の花嫁」などのかけ声が、日本国中にひびきわたった。内地の農村の窮乏を緩和するため、そして人口の上でも日本人のウエイト高め、あわせて関東軍の補助戦力として、農業移民が推進された。

平井さんは、ある日「宝塚少女歌劇」を見に行った。『真っ赤な太陽』と言う踊りだった。それから、まもなく千葉県庁で「大陸の花嫁」の申し込みをした。そして、写真で梅太郎さんに決め、見合いをした。花嫁22歳、花婿29歳だった。開拓団は、北安市(黒龍江省)から車でさらに二時間半ほど行ったところだった。冬は冷下30度を下回った。長男が誕生した。

そして、昭和20年8月15日、日本の敗戦が決まった。夫の梅太郎さんは、開拓団の団長代理だった。銃を隠し持っていると疑われて、解放軍(中国共産党)に処刑された。夫の死後次男を出産したが、半月後に死亡した。帰国命令が来た時は母体が衰弱して動けなかった。収容所には、病人、病気の子どもをかかえた母親、年寄りの多くがとり残こされた。当時、開拓団男子に最後の召集が来て、どこの団でも残されたのは、女と子ども、それに年寄りと病人であった。開拓団には、若者そして男性がほとんどいなかった。そのことが悲劇をさらに大きくした。

悲劇は、続いた・・・  (*明日のブログに続く)

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