加古川の戦争(24)・加古川憲兵分隊

憲兵は「軍隊内の警察活動を受けもつ兵(角川・国語辞書)」のことである。

加古川の憲兵分隊は、1936年(昭和11)、加古川飛行場などの建設にあわせて、加印地方で一番最初に開設された。1937年(昭和12)に庁舎が完成するまでは、加古川町役場(現:加古川公民館の場所)で業務をしていた。翌年、庁舎は現在の県総合庁舎の敷地内へ移った。加古川憲兵分隊についての具体的な記述はほとんどないが、当時の神野村の広報誌「神野雑報」(写真)は、その一部を伝えている。

神野雑報153号(昭和11年12月25日)

〔兵事〕・憲兵隊(読みやすく書きかえる)

12月1日より、加古川憲兵分隊を設置した。事務所は加古川町役場内で、明年4月頃事務所落成の予定。担当区域は、東播7郡で隊長代理は小笠原少佐。隊員は根本軍曹長、井上軍曹である。

加古川憲兵分隊が担当した東播7郡は、明石、加古、印南、加西、加東、美嚢(みのう)、多可の各郡であろうと思われる。なお、加古川憲兵分隊の開設については、大阪朝日新聞神戸版(昭和11年12月1日)に「加古川憲兵分隊けふ(きょう)開庁式・国防強化の使命」と題して報道している。

この記事は『加古川市史(第六巻上)』に取り上げているので参照ください。

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