五ヶ井用水を歩く(17):溝ノ口村

水は稲を育て、畑を潤した。その水が流れる溝は、農民にとって命そのものだった。現在に生活する私たちは、「溝」といえば、生活用水でよごされた「ドブ」を思い浮かべる人も少なくない。昔、溝は豊かな稔・豊かな生活のイメージにつたがる言葉だった。

地図は、文化十三年(1816)の「五ヶ井・新井掛村々溝手絵図」の解読図(一部)です。五ヶ井の水路は溝ノ口村(赤丸付近)で集まり、さらにたくさんの水路に分かれている。

この五ヶ井用水の分かれるところに水天宮(写真)がある。たしかな証拠(古文書等)はないが「溝ノ口村」の名前のおこりは、溝の分かれている所に位地していた村ということだろう。石見完次氏は、『河(38号)』(加古川流域史学会)で次のように述べておられる。「・・・この村(溝ノ口村)には水天宮、天御中主神社(あめのみなかみぬしじんじゃ)がある。この社前から扇状のように五ヶ井の水路が分岐している。

村の名前もこのところからおきたのだろう・・・」

溝ノ口(村)の人は、この神社を「妙見さん」と呼んでいる。古くて壊れそうな神社であったが、加古川駅の再開発にともない、現在位置も若干移動し、ピカピカの神社に変身した。

周囲の風景もすっかり変わってしまった。

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