昨日のブログ「明治29年の水害」の続きである。翌、明治30年の9月にも台風は加古川を直撃した。被害は、前年を大きくしのぐ大災害となった。
死者8名、傷者31名、建物の流失倒壊383棟、破損浸水14,389棟、堤防破壊破損31,854間、道路破壊破損52,795間、橋梁流出破損838ヵ所で被害総額は1,057,000円にものぼった。加古川流域の村々では、おりからのウンカの害にくわえ、収穫期に大水害を被ったため収穫のない田畑も多かった。生活に困窮し、土地を手放す者も続出した。
土地売買の手続きが日々百件以上もあり、登記事務所は連日夜業をするほどであったという。
これらの水害をきっかけに、加古川河川の本格的改修の要求がたかまった。国庫の補助が必要である。
そのため1898年(明治31)、加古郡・印南郡17町村は「加古川河身改修期成同盟」を結成した。
*『加古川市史(第三巻)』参照

