一昨年、7月17・18日のブログの内容と重なる。嘉禄元年(1225)、国包を襲った大洪水については、昨日のブログをご覧ください。この地は、加古川が大きく蛇行し、特に洪水が多かった。国包には写真のような人工の築山(つきやま)がある。
洪水時の避難場所である。宝暦六年(1756)、国包出身の長浜屋新六郎という人物が、洪水で被害に困る住民のために私財を投げ打って築いたものだと伝えられている。
当時は、水害のため飢饉の状態だった。この工事により、多くの貧しい人々が仕事を得て救われたとも伝えられている。
後年、この築山に土地の人々が感謝の気持ちと安全への祈りをこめ築山神社を築いた。
尚、この築山には近くから見ると一本のように見える大樹(写真下)がある。この木は、二本の榎が一本のムクノキを両脇から包み込むような形で成長して、三本あわせた木の周囲は7mにもなる。

樹齢は240年ほどで、築山を造ったときに植えられたともいわれている。樹木では唯一の加古川市指定の文化財となっている。

