2平岡町探訪:宮本百合子 in 加古川市

昨日、土山(加古川市平岡町)の喜瀬川にかかる橋のところで車を止めた。田植えの頃の喜瀬川の流れを見たかったためである。日ごろは、流れもなくよどんでいる川も、この時期ばかりは、さすがに流れがある。上流の池から田に水を供給するためである。喜瀬川は、川と言うより用水路と呼んだほうがピッタリとする川である。喜瀬川は台地上にあり、旱魃こそあれ、およそ、洪水とは無縁の土地を流れる。普段は細々とした、頼りなげな川である。ここに、洪水と言う大事件が起きたのは、敗戦から数日後の10月のことであった。宮本百合子が、偶然この洪水に出くわし「小説・播州平野」に書いている。

(*昭和20年10月9日やっとの思いで、百合子(小説では、ひろ子)は姫路に着く。その日、台風がこの地を襲った。加古川での記述は11日のことである。写真は昨日の喜瀬川と橋)

・・・・・加古川でみんな汽車からおろされた。不安な顔つきを揃えて改札口を流れ出た。旅客の群れは駅前広場にトラックが二台待機しているのを見て、歓声をあげた。・・・トラックは急に速力を落として畑の横に停まった。・・・・小さいが、流れの急なところで、石橋が落ちていた。・・・・(「播州平野」より)

文中の「小さい、流れの急なところ」とは喜瀬川のことである。詳細については小説を読んで欲しい。

この時の洪水で26人の死者を出している。繰り返していうが、この地域は台地上にあり、旱魃こそあれ、水害を歴史上記録したことがない。この時は上流の池が連続して決壊して、一度にこの地を襲った。百合子は全くの偶然に出くわしたことになる。

以前、この大洪水について調べたことがあった。その時、21歳の時、この水害を経験されたI(71歳)さんから手紙をいただいた。元気でおられるだろうか。手紙については機会があれば後日紹介したい。