
23.二俣探訪:二俣(ふたまた)の地名
子どもが誕生した時に最初の仕事は、子どもの名前をつけることでしょう。
土地も同じで、新しく開拓された土地には名前がつけられました。
それが小字(こあざ)です。
小字は、長い歴史の中で、元の小字の呼び方も文字も変わり、最初の意味が分からなくなった例も少なくありません。
二俣の小字については、後で詳細に検討することにしまが、きょうは、「西川」という小字に注目してください。
(図は「二俣の字限図」の一部です。クリックして拡大してご覧ください)
小字「西川」は、新井用水が二俣にはいってから大西晃さん宅の西までの新井用水に沿った南側の土地です。
「西川」は、もちろん江戸以前に付けられた小字名です。
ですから、「西川」は江戸時代初期に造られた新井用水のことではありません。
このあたりの地形(印南野台地)は北が高く、南が低くなっています。
北から南へ流れた水が、西から二俣の方向に水路をつくっていたのが西川であろうと考えられます。
「二俣の地名」
西川とは別の水路があったのでしょう。大池のあたりだと思えるのですが、南へ水路をつくっていたと想像されます。
その水路が西川とぶつかりました。この二つの水路が交わった場所を二俣(二又)と考えてはどうでしょうか。
『古地名新解(加古川おもしろ誌)』で著者の石見完次氏は、二俣の地名のおこりを次のように説明しておられます。
「二俣」または「二又」という名は、川が二俣になっているからだと言う。
室町時代に地名、野口庄と阿閇庄との庄境にあるから二俣と言う(片岡善亀)。
地元の人は、二川の又に当たるからと言い、「二川」の姓はこれによると言う。
「西ノ川(西川のこと)」と北方から下る流れとの股間に位地するからであろう。
二俣あたりを流れる新井用水は、この西川を利用したといわれています。
「西川」の小字のことを考えながら二俣の地図を見ています。
二俣(二又)の名前のおこりと想像される場所のあたりに「二川」姓が多い・・・
