故郷の思い出           
兵庫県養父市 出身  藤原 茂
8月23日、庵(大仏様が祀ってある)の境内で盆踊りがあります。
それは明治のはじめ頃からはじまり、村で一番のイベントです。
夕方になると農家のあちこちの家から老若男女が集まってきます。
日が暮れ、あたりが暗くなってくると音頭とりの人が雨傘をさして片足を大きな餅搗き臼にかけて太鼓や笛に合わせて、当時の 福知山音頭や播州音頭などを歌います。 みんなが音頭とりを中心に輪になって踊ります。
その日は子供達も絣の浴衣を着せてもらって大人たちの後を追ってついて行くのです
大人たちは、一升瓶を片手に酒を飲みながら顔を赤らめていました。
その夜、大仏様にはモチバナという餅米の粉で作った赤や青の花模様に細工されたオカキ風の生菓子が飾られ、それは灯明に映えてきれいでした
夜9時頃に子供達は家に帰ります。
次の24日は、村の地蔵さんのお祭りです。
地蔵さんは遠い昔、子供達の健康と、健やかな成長を願って祀てられたと言われています。
そして、供養するのが地蔵盆です。地蔵さんは庵の庭の片隅に屋根が作られ、その下に並んでおられました。
その日は、お菓子や団子などがたくさんお供えされています。
あの頃、何も食べ物は無くお地蔵さんのお下がりはとても貴重なものでした。
みんなは群がって競い合い、おばあさんからたくさん貰う人とそうでないものとの間で喧嘩をしたり、泣かされました。
団子はきなこをまぶしたものや小豆のあんこで包んだものでとても美味しかったと今も覚えています。

太平洋戦争は日に日に激しくなり、国民学校の運動場は芋畑になり、月月火水木金金の毎日でした。
そして沖縄が占領されあの八月十五日玉音放送を聞きました。
あれから半世紀以上が過ぎ、お地蔵さんが今も笑って鎮座されているのでしょうか。
私にとって、悠久の歴史であり、、今思うと過去に埋もれた小さな宝だったのでしょう。
ふるさとは、遠くにありて思うもの。

          今の養父市のふるさと祭りの光景です。