加古川の戦争(5)・大政翼賛会(1)

昭和15年(1940)10月、政党は次々に解散し大政翼賛会が発会した。戦争に反対する声は、表面上消えていった。兵庫県にも大政翼賛会の組織ができると、上荘村(加古川市上荘町)の大地主であった大西甚一平は常務委員に就任した。大西が指導する農民倶楽部の機関誌「農民倶楽部」(昭和16年2月号)で彼は、大政翼賛会について次のように述べている。

「・・・現下、緊急した情勢下において、我々は一層不動の心を養っておかねばならないと思う。何時、この神国の大空に空襲を見舞われようとも、あるいは近海敵艦が出没しようとも、国民一人ひとりがあわてず騒がず、動ぜざる心をもって平常のごとく各々、その職域奉公することこそ、もっとも肝要である・・・」(一部、読みやすく字句を改めた)

そして、大西は、戦争協力の社会に変革するには「青壮年の実践力」が必要であることを説いている。つまり、青壮年の「下」があってこそ、「大政翼賛会の目指す社会を達成することが出来る」と主張した。

*写真(大政翼賛会兵庫県支部常務委員会)、「加古川市史(第3巻)」より。

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