加古川を歩く(48):水手供養塔

シリーズ「加古川を歩く」は、河口の町・高砂からはじめ、上流へたどり、また高砂の町へ帰ってきた。このシリーズの最後に、秀吉の朝鮮侵略の際にかり出されて死んだ高砂の水手(かこ)の供養塔を取り上げたい。

十輪寺の境内に入ると本堂の東側に、多数の石塔に囲まれた一基の大きな宝篋石塔(写真)がある。1592年、秀吉の朝鮮侵略の際にかりだされて死んだ水手の供養等である。この戦いに、高砂から100人が徴発され、帰国途中96人が溺死したという。「文禄・慶長の役」とよばれる朝鮮侵略では武士のみでなく、多くの民衆が動員された。

「高麗へ渡り候へば、二度と帰らぬ」とまでいわれ、多くの水夫・武士が死亡した。この供養塔は、全国的にも貴重な民衆側からの朝鮮侵略を記録する遺物である。

96の石塔群は、1730年に建てられた宝篋印塔より古いもので、村人が水手の死を供養するためにつくったものではないかといわれている。

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