
18.印南野台地⑧・印南野の文学
二俣の生活の舞台である印南野(いなみの)は、しばしば文学にも登場しています。
清少納言は『枕草子』で、印南野を嵯峨野についで二番目にあげています。
野は、嵯峨野さらなり。印南野、交野(かたの)、飛火野(とぶひの)、しめ野、春日野、そうけ野こそ、すずろにおかしけれ・・・・
*すずろにおかしけれ・・・・・心ひかれて、趣がある
清少納言が、野について述べているところで、印南野を二番目に取り上げた理由は分かりません。
特別な個人的なつながりや思い出があったとも考えられません。
とすれば、印南野は中央(京都)でも広く知られていた地名であったからでしょう。
印南野が、もっとも多く登場するのは、なんと言っても『万葉集』です。
少し鑑賞してみましょう。
(山部赤人)
印南野の 浅茅押しなべ さねる夜の
けながくしあれば 家し偲はゆ
(いなみ野の短い茅を押しなびかせて寝る夜の日数がつもったので、家が恋しくなった)
(作者不明)
家にして 吾は恋なむ 印南野の
浅茅が上に 照りし 月夜を
(旅から帰って、恋しく思い出すだろうな。印南野の浅茅の上に照っていた月夜を)
(柿本人麻呂)
稲日野(印南野と同じ)も 行き過ぎがてに 思へれば
心恋しき 加古の島見ゆ
(広々とした稲日野の近くの海を航行していた。船足がはかばかしくない。いろいろと物思いにふけっていると、やがて恋しい加古の島が見え出した)
*加古の島・・・現在の高砂市高砂町・荒井町あたりにあった三角州のことと思われます。
