
10.余話・賀古の駅(かこのうまや)
きょうの話題・賀古の駅(かこのうまや)は、「古代の山陽道、二俣を走る」の続きとしてお読みください。二俣から古代山陽道を少し西に行くと賀古の駅に着きました。
7世紀、大和政権(奈良を中心とする政権)は、天皇を中心に勢力を強め、その勢力を更に拡大するために道を整備しました。
官道には、駅(うまや)を設けました。
駅(うまや)とは、主に古代の官道で、役人の公用の旅行の便宜を図るために置かれた連絡、宿泊などの施設ことです。
野口(加古川市野口町)には、山陽道最大の駅、賀古の駅(かこのうまや)がおかれていました。
山陽道最大ということは、日本で最大の駅ということです。
他の駅では、多くて20頭ほどの馬が置かれていたましたが、賀古の駅は、40頭を数えました。
賀古の駅のあった場所は、古大内(ふろうち・野口町)に「駅ヶ池(うまやがいけ)」があり、大歳神社あたりで、図の古大内遺跡が駅跡であろうと言われています。
また、古大内(ふろうち)の名称は、「古大路(ふるおおじ)」が訛ったものであるという説もあります。
駅ヶ池の南を古代山陽道が走っています。古代山陽道は道であると共に、道は池の南の土手にもなっていたと考えられます。
駅ヶ池は、奈良時代に造られた池で、市内で最も古い池です。
(蛇足)・・・駅に「馬へん」が使われているのは、駅はもともと電車ではなく馬がその役割をはたしていたためです。(馬鹿にされそう・・・)
*図は『加古川市史(第一巻)』より
