
4.河合寸翁(かわいすんのう)
二俣の木綿商・坂田藤蔵についてしばらくお待ちください。河合道臣の話を先にしておきます。
河合道臣(みちおみ-後の河合寸翁・すんのう)は姫路藩の家老です。
藩主・酒井忠道(ただひろ)の文化5年(1808)、藩には73万石の借財がありました。
河合寸翁は、播磨地方が木綿の産地であることに着目して、綿布の姫路藩の専売にし、藩の財政改革に取り組み、みごと借金ゼロを成し遂げまあした。
全国的にも稀有な例です。
当時、姫路綿(布)の主な送り先は大坂(江戸時代「坂」の字を使っていた)でしたが、寸翁は、綿を藩の専売品として、江戸への直送する方法をとりました。
勿論、さまざまな妨害がありました。
小説「姫路城・凍って寒からず(寺林峻著)」(東洋経済)に詳しく紹介されています。
江戸直送には、妨害もあり困難をきわめました。それまでの商の慣習を壊すのですから当然です。
しかし、綿密な調査・江戸問屋や幕府役人への説得により、文政6年(1823)やっと江戸への木綿専売が幕府に認められました。
これは、「藩主・忠学(ただひろ)の妻・喜代姫(きよひめ)が将軍・家斉(いえなり)の娘であったためでもあった」ともいわれています。
ともかく、姫路綿の江戸での販売は好調で、藩の借金は、短期間に返済し終えることができました。
木綿(布)は藩専売制度ですから自由に売り買いできません。
藩から木綿(布)を買い集めることができる問屋には許可証が与えられました。そのうちの最大の木綿商人が二俣の坂田藤蔵でした。
*写真上:河合寸翁像、写真下:(河合)寸翁神社共に姫路神社内

