
1.平岡村二俣誕生 (明治22年4月1日)
今日から、しばらくは平岡町二俣の探訪です。では、さっそく出かけましょう。江戸時代、平岡の地には、西谷新村・野辻(のうつじ)新村・寺田新村・新在家村・高畑村・土山村・一色村・中野村・山之上村・八反田村そして二俣村の11か村がありました。それらの村々は、明治22年4月1日、新しい村制により合併し、「平岡村」(図参照)を誕生させた。
したがって、平岡の名称は、この時につけられました。江戸時代、平岡村という名称はなかったのです。この合併に先立ち、明治初年に野辻新村・寺田新村・新在家村がひとつになり、新在家村となり、西谷新村は、明治22年の合併の時、名称を西谷村に変えました。
なお、昭和25年6月15日、加古川町・神野村・野口村・尾上村そして平岡村が合併し、加古川市が誕生しました。
二俣は、加古川市平岡町二俣となりました。
なお、明治22年4月1日に平岡村が誕生しましたが、二俣の有力者・坂田啓太郎氏が明治22年の6月から明治22年の10月までの5年3ヵ月の長い間、平岡村の初代村長を勤めました。
* 図は、『兵庫県市町村合併史・上』(兵庫県総務部地方課)(昭和37)より
